オランダの東洋探検船団の一隻リーフデ号に乗り込んだウイリアム・アダムスは、1600年4月19日、豊後水道の臼杵に漂着した。足掛け3年の過酷な航海の果て、同船の乗組員110人は24人の生存者を数えるのみであった。航海長アダムスは天下統一をめざす家康に目をかけられ、艦載の大砲を関ヶ原へと運ぶ。海洋歴史小説の金字塔。
按針サミット
徳川家康の外交顧問として活躍した英国人・三浦按針(ウィリアム・アダムズ)ゆかりの4市(大分県臼杵市、静岡県伊東市、横須賀市、長崎県平戸市)は、按針の功績の顕彰と各市の魅力の発信を目的に、平成25年4月、「ANJINプロジェクト」を立ち上げました。1年ごとに4市を回ってサミットを開催しています。
- 1947年(昭和22年)10月1日 - 佐志生仮乗降場として運輸省鉄道局大分管理部が開設。
1950年(昭和25年)1月10日 - 旅客業務取扱開始し停車場化。
1984年(昭和59年)11月1日 - 無人化。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により九州旅客鉄道が継承。
臼杵市北部である佐志生地区に位置し、臼杵市内で最北の小学校である。敷地内に佐志生保育所を併設している。(平成27年度現在休園)児童数については年々減少しており、2~3年生と4~5年生で複式学級を導入している。(平成23年度現在)
(いちだい のぼる、1937年10月20日 - 2000年4月29日[1]、本名:首藤正毅)は、大分県臼杵市佐志生出身の作曲家である[2][3]。代表曲は、松村和子が歌った「帰ってこいよ」。
略歴[編集]
臼杵市立豊洋中学校を卒業後、津久見市の大分県柑橘試験場津久見分場で学び、家業のミカン栽培に携わった。24歳の時に上京し、流しのかたわら、作曲を独学した[3]。
千昌夫、小林旭、水前寺清子、村田英雄らの楽曲を作曲[2][3]。代表曲の「帰ってこいよ」は、1980年発売の松村和子のデビュー曲で、翌1981年の「第32回NHK紅白歌合戦」でも歌われた。「一代のぼる」の名付け親は作詞家の星野哲郎である[2]。
代表曲[編集]
「おしてもだめならひいてみな」(水前寺清子 1968年)
「東京でだめなら」(水前寺清子 1969年)
「夕焼け雲」(千昌夫 1976年) - 第34回NHK紅白歌合戦歌唱曲
「ショーがないね節」(小林旭 1976年)
「帰ってこいよ」(松村和子 1980年) - 第32回NHK紅白歌合戦歌唱曲